宮城県気仙沼市『気仙沼市役所』

震災復興で強まった絆が「食」と「ホストタウン」でさらに深まる

漁業という「食」でつながる インドネシアと気仙沼市

2020年1月には、気仙沼市内の小中学校の給食でインドネシア料理が提供された

 「食を通じた交流会」の他にも、気仙沼市ではインドネシアとの食の文化交流が行われていた。2020年1月には気仙沼市内の小中学校の学校給食でインドネシア料理が提供され、市内のインドネシア技能実習生も参加し、気仙沼市長も加わり、生徒とともにインドネシア料理を楽しんだ。
 これらの活動は、2018年7月に気仙沼市とインドネシアとの間で登録した『復興「ありがとう」ホストタウン』事業の一環である。同事業の定義にある通り、「これまで支援してもらった海外の国や地域に復興した姿を見せつつ、東京2020大会の関係者や住民との文化交流を行うこと」として、気仙沼市は「食」の文化交流を行った。
 気仙沼市とインドネシアは、漁業という「食」により繋がってきた歴史がある。マグロやサメの遠洋近海漁業の基地でもある気仙沼市の漁船では、インドネシアの人々が乗組員として長年働いており、2018年時点で836名が乗船している。
 近年は、「技能実習生」として多くのインドネシアの人を受け入れている。前出の漁船のほか、水産加工場、建設業など、その数233名(2020年1月末時点)にのぼる。そして彼らは、遠い異国である気仙沼で働きながら技能を学び、故郷に仕送りをしながら生活をしているという。
 ある水産加工場の就労窓口の女性は、インドネシアの技能実習生のことを、次のように語っていた。

「彼らの大半は、20代から30代の若者です。基本的に社交的で、気仙沼市民の方とも交流したいと思っています。また、学ぶことにも貪欲で、プライベートも活動的。収入は決して多くないですが、休みになると全国各地に出かけていきます。でも気仙沼では、若者向きのイベント自体が少なく、彼らはそうしたアクティブな場を常に欲しています。今回のような交流イベントも、すごく楽しみにしていたと思います」

復興の感謝と交流促進を目的に 復興「ありがとう」ホストタウンに登録

気仙沼市とインドネシアとの交流が活性化するきっかけのひとつとなった
「気仙沼みなとまつり」での「インドネシアパレード」。写真は2019年の様子

東京2020大会に向けた「食」の取り組みとして
被災農地を活用したビニールハウスのトマト栽培がある

 もともとつながりが強かった気仙沼市とインドネシアだが、絆がさらに強まったのが、「東日本大震災」での復興支援である。同年6月にインドネシアのユドヨノ大統領夫妻が気仙沼市を訪問。被災者を激励し、災害復興資金として200万ドル(約1億6千万円)を寄付した。その寄付金は、地震被害によって建て替えが必要だった気仙沼図書館の建設費の一部に充てられ、2018年3月に開館した施設内にある児童図書エリアは、「ユドヨノ友好こども館」と名付けられた。
 その復興支援の感謝と復興状況の国内外の発信、さらなる友好関係の構築を目的に、気仙沼市はインドネシアを相手国として『復興「ありがとう」ホストタウン』に登録したのだ。
 「食」以外にも『復興「ありがとう」ホストタウン』としてさまざまな事業を行っている。気仙沼市とインドネシアの交流のシンボルとして、2003年よりはじまった「気仙沼みなとまつり」内で行われる「インドネシアパレード(開始当初はバリパレード)」でも、2019年にインドネシア技能実習生に参加を呼びかけ、盛大なパレードを行うなど、さらなる交流の促進を図った。
 2018年10月には市長をはじめ市の関係者がインドネシアを訪問、これまでの復興の感謝の意を伝えた。また、現地で行われた「JAPAN TRAVEL FESTIVAL 2018」にて、気仙沼市の観光パンフレットを配布するなど、PR活動も行った。
 ちなみに『復興「ありがとう」ホストタウン』の枠組みではないが、東京2020大会への導入を目指した「食」の取り組みとして、「サンフレッシュ小泉農園」が手がけるトマト養液栽培がある。これは、東日本大震災の津波により、甚大な被害のあった小泉地区の沿岸エリアに、2ヘクタールという巨大なビニールハウスを建設したもので、現在は、東京2020大会の選手村などで提供される食材の基準「GLOBALG.A.P. 」(※2)を取得したトマト栽培を行っている。