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島×地方創生「一周まわって最先端」の島づくりを離島経済新聞社がレポート

「ない」から生まれる創造力の「ある」島へ

vol.01

笠岡諸島 北木島・真鍋島・六島

人口60人の六島で生まれた新たな産業

笠岡諸島のなかでも特に人口の少ない六島には、現在60人が暮らしているが、この島にも新たな産業を生んだ人がいる。


日本離島センターの「しま山100選」にも選ばれる大石山(185メートル)を中心に、2つの集落がある六島の前浦港から徒歩1分。斜面に並ぶ家々の裾にある真新しい建物に「六島浜醸造所」があった。

オーナーの井関竜平さんはこの場所でクラフトビールを作っている。


生まれ育ちは大阪だが、祖母が暮らす六島が好きで「島で何かできないか」と常々考えていた井関さんは、ある時、決意をする。


「サラリーマンをしながら六島に住みたいと考えていた時、島に来ているインターン生と出会いました。島にどっぷり浸かっている彼らの姿に勇気づけられ、会社をやめる決意をしました」(井関さん)


六島では2011年に六島まちづくり協議会が立ち上がり、2012年から2019年まで大学生インターンの受け入れを行なっていた。


人口わずかな島に飛び込み、1〜2ヶ月間暮らす大学生たちの姿を目にした井関さんは、高齢化が進む島の役に立てるよう介護福祉士の資格を取得。介護の現場に入り、修行をするなか笠岡市が地域おこし協力隊員を募っていることを知り、2016年の春、協力隊員として六島に住むことになった。


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■きっかけは数十年前に途絶えていた麦畑の存在


「島に移住して2ヶ月で気づいたのですが、島の可能性はお年寄りが握っているのだと思いました。私の好きな六島は、人がいてこその六島なんです」。そう話す井関さんは、六島のお年寄りから昔の話を聞いたとき、かつて700人もの人口がいた時、住民の胃袋を満たすために島のてっぺんまで畑を広げ、麦や豆を作っていたことを知った。


「とても苦労していたのだな、すごいなと思うのと同時に、その麦畑を本気で見たいなと思いました」という井関さんは、島に再び麦畑をつくることを決意した。


六島に麦畑を復活させようとするアイデアは、島の住民や市職員はもちろん、飛島に暮らす親戚からも「やめておけ」と反対された。


しかし、島を訪れる井関さんは釣り人や旅人に度々、「島に何が必要か?」と尋ねていたところ、「宿とお酒」という回答が多かったこともあり、「これだ」と確信していた。

「これ(ビール)は、旅人のニーズであり、島のニーズではありません。ですが、島の人にとっては誰かが何か新しいことを始めると、自分のフィールドが侵される可能性があるので、実はあまり好ましくないということもあります。ビールは誰も作ろうと思わないので、麦も作ろうとは思わないでしょう。それは、作っても単価が安いからで、そこに付加価値をつければ面白くなるなと思いました」(井関さん)


そして、井関さんはビール造りの知識を持たないまま「自分はビールをつくります」と周囲に言いふらし、自らの退路を絶った。


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■師匠に弟子入り。小豆島でビール造り修行


2016年より、島のお年寄りの記憶を頼りに、麦の栽培方法や収穫方法を学び、麦の栽培を開始。知り合いを通じてつながった岡山市の「吉備土手下麦酒醸造所」を師と仰ぎ、初めて収穫した麦を吉備土手下麦酒醸造所で醸造。六島産の麦を使ったビールのお披露目として、2017年に六島でビールを楽しむ「六島オクトーバーフェスト」を初開催した。


このイベントには、吉備土手下麦酒醸造所をはじめ笠岡諸島各島からの出店者も集い、にぎわいのもとビールがお披露目された。そしてイベント会場に、島のおばあちゃんが手押し車を押し、ビールを買いに来た様子をみた師匠から「この取り組みが継続すれば素晴らしい。全力でやるならこれからもやっていこう」と背中を押され、師匠の兄弟子が開いた小豆島の「まめまめビール」に弟子入り。


六島から小豆島に半年間、毎週のように通いながら醸造や衛生管理の技術を学んだ。

今年4月、六島浜醸造所として初めての醸造を行い、完成した200リットル分を倉敷市のショッピングセンターで販売したところ、ほぼ完売することができた。

 

1026日・27日には第3回目となる六島オクトーバーフェストが行われ、六島で育てた麦を使い、六島で醸造したビールが振る舞われた。

 

井関さんが作るクラフトビールには、北木島の牡蠣、高島のキンカンとみかん、白石島の桑の実など5種類のテイストがあり、年間計9,000リットルを目標に醸造する計画という。


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■「六島でないと商売ができる自信がない」


本土と橋でつながらない人口60人の島で新たな産業を作り、軌道に乗せることは並大抵のことでないと感じられるが、「私は六島でないと商売ができる自信がない」と井関さん。


その理由は、ビール造りこそたった一人で行っているものの、醸造所の建物は「島の人が総動員」で手伝ってくれ、ビールの出荷やイベントの設営にも、島の人々が手を貸してくれるから。


六島には「ドラム缶会議」と呼ばれる日課がある。毎日17時をまわると、島の人々が港に集まり、ドラム缶を囲み、酒を片手に世間話にあけくれる。居酒屋もコンビニもない島だが、人が集い、語り合える場所は存在している。

「六島の魅力は、昔からの生活文化が受け継がれている数少ない地域であることです。誰かが倒れたらみんな寄ってくれたりする、煩わしいけれどもありがたい人間付き合いがあります。私は大阪でずっと育ち、割と無機質な商売に身を置いていました。そして毎年1回、六島に帰ってきて都市と真逆の世界を感じた時に、枯渇している何かが埋まる気がしました」。井関さんのベースには、島の暮らしや人々に対する共感と敬意がある。

 

すべては「島が好き」という動機から生まれた井関さんの挑戦だが、一方で押し寄せる、過疎の波は強い。六島の人口は年々減っており、小学校の存続も危ぶまれている状況に変わりはない。


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■自分が動くことが、課題解決の一手になる


「続いてほしいというのが私の願いで、そう思った時に誰が動かなければいけないかと考えたとき、自分が動かなければいけないと思いました」という井関さんは、自らが動き、六島の良さを外部に伝えることが、課題解決の一手になると考えている。

 

「こうした話を聞いて『面白いな』と共感してくれる人が、例えば1,000人に1人いてくれたらよいと思っています」(井関さん)。

 

魅力的な土地があり、暮らしを支える人がいる。そんな笠岡諸島で、島に暮らす人たちだけでは叶わない「あったらいいな」と感じているものがあるかと尋ねると、井関さんも真鍋島の近藤さん夫婦も、「笠岡諸島を回れる船便」と回答した。

 

暮らす人も、訪れる人も船にのってやってくる他、方法はないのが離島である。その足を確保するには、人の動きがあり続ける必要がある。課題は多くとも、笠岡諸島には人々の「本気」があふれていた。