地域の“強み”を生かし、子どもたちの可能性を伸ばす
長野県塩尻市
塩尻市企画政策部情報政策課 課長
CTO(最高技術責任者) 金子 春雄 氏
塩尻市は、1996年に開設した市運営インターネットプロバイダーをはじめ、自治体としては早くから情報政策に取り組んできた。国のモデル事業の指定を受けて、2007年に世界最大規模の無線アドホックネットワークによる「地域児童見守りシステム」を構築。以後、その情報通信基盤を活用し、バスロケーションシステム、橋梁などの損傷や河川水位などの各種監視システム、ドローンを用いた森林経営支援、災害時における市民からの写真送信など、さまざまな情報収集と“見える化”を通じて市民の福利厚生の向上に努めてきた。なかでも目覚ましい成果を上げた鳥獣被害対策は、世界的に知られる好事例となっている。
主な取り組み
◎世界最大規模の無線アドホックネットワークを構築し、以下のシステムの運用と対策を実施
・バスロケーションシステム
・鳥獣被害対策
・道路等の損傷個所、不法投棄、松枯れ病の通知システム
・橋梁の損傷監視システム
・河川水位・土砂・放射能の監視システム
・ドローンを活用した森林経営・農業支援
・災害時における市民からの写真送信
など
ビジネスが生まれる環境をつくる
地域児童見守りシステムの端末。
――市内に600以上あるネットワーク中継機からクラウドサーバーまで、世界最大規模の無線アドホックネットワークを市が保有する利点は何ですか。
金子:もともとは地域児童の見守りシステムのために構築したネットワークですが、違うセンサーを使えば違う情報も集められるので、それらのデータを利用したさまざまなサービスをつくることができます。
このことはまず、人口減少などに伴って行政・公共サービスの縮小と効率化がますます求められる今後の局面で威力を発揮します。どういうことかと言うと、基盤自体は行政が持ち、地元民間企業がその環境を利用してサービスをつくり、行政は応分の負担で資金を出す。サービスを受益する市民はサービスの提供事業者に料金を支払う。このような形で連携することで、行政・公共サービスを効率よく展開できるという利点があるわけです。
――民間にビジネスが生まれるのは大きなメリットですね。
金子:そうです。どのようなデータを集めるかという情報収集の領域、それらのデータを視覚化するなどの領域、収集したデータを利用してサービスを提供する領域の3つでビジネスが生まれます。
基盤全体を商社などに売却することも考えられましたが、やはり地域経済に貢献し、地元の民間企業に技術を高めてもらいたい。ですから、基盤は市が保有して貸すことに徹するのです。これも広い意味での産業・人材育成と言えますね。
ICTと人々の団結が被害をゼロに
塩尻インキュベーションプラザ。2007年に開設され、組み込み機器メーカーなどが入居。塩尻市、信州大学などと連携しながら産業振興に取り組んでいる。
――鳥獣被害対策は驚くべき成果を上げていますが、ICTをどのように利用したのですか。
金子:この取り組みを開始した2011年度には耕作面積の85%に被害が見られたのですが、2013年度は被害ゼロ。農業収入は対策前の6.5倍となりました。
そもそもこのプロジェクトは、塩尻インキュベーションプラザに入居するIT-アグリ研究会が、ICTを活用した農業の活性化に取り組む過程でイノシシの問題を把握したのが発端でした。我々も一緒に取り組むことになり、試行錯誤しましたが、確立したのは次のような方法です。
すなわち、さまざまなセンサーで鳥獣の出没時間と場所をクラウドに記録し、地域住民にメールで通知。地域一丸となって追い払い、罠も設置して個体数を減らす――。あらゆる試みが徒労に終わっていたそれまでとは違い、効率的で手応えもあり、農家の皆さんの耕作意欲も高まりました。
――ICTの利用とともに、やはり地域住民の団結も必要になりますね。
金子:結局は“人”なのです。猟友会や猟を生業とする方々などを含め、利害関係を超えて地域が心を1つにできたことが最大の成功要因でした。
また、やる気になるきっかけとして非常に重要だったのは、情報の“見える化”でした。自動撮影カメラを使って夜中に畑を荒らす“犯人”を撮影する。その画像を見て、皆さん俄然やる気になった、というわけです。ちなみに成功した地区は、もともと人々の絆が強い地域ですが、このプロジェクトを通じて連帯感がいっそう深まったようですよ。
自分たちの“強み”を明確にする
――ICTの担い手や産業の育成について、方針と取り組みを教えてください。
金子:大きな方針をひとことで言えば、20~30年先に備え、その頃活躍する子どもたちに投資するということです。気の長い話ではありません。むしろ効率のよい投資方法です。社会的には未熟でも、高校を出る頃には高度なプログラムを組めるようになるし、それも毎年次々に育っていく。それが成功すれば、20~30年後に地域は自立を果たせると思っています。
塩尻市は信州大学との共催で電子工作・プログラミング講座を開いていますが、我々は受講している子どもたちの目の輝きに希望を託します。
センサーネットワークを活用するには、高い能力を持つデータサイエンティストなどの人材も欠かせません。一方、これからは考え方やプラットフォームといったものを創造できる人材が強いのも事実です。そして、ソフトウェアをつくるための道具はインターネット上に揃っている。柔軟な発想と論理的な思考、動機さえあれば、独創的なソフトウェアでパラダイムシフトさえ起こせるのです。経営能力も必要ですが、何より大切なのは、子どもたちがやりたいことをできる環境を整えることだと考えています。
――そのような環境の整備も、具体的に進んでいるようですね。
金子:近々、高校生対象の起業家育成プログラムや中学校での起業教育を実施します。シリコンバレーなど先進地の見学・体験もさせたいですね。2017年の後半までには、信州大学や高専の協力も得てカリキュラムをマトリックスにします。2018年には新しいインキュベーション施設も完成するかもしれません。我々はその時すでに、“新しい道”をかなり進んでいるはずです。
――その進むべき“新しい道”は、どうしたら見つけられるのでしょうか。
金子:ICTによって我々がつくってきたシステムは、ほかの地域でも展開できます。しかし、我々が歩もうとしている“新しい道”自体は、やはり地域の歴史の上にあることを感じます。
塩尻は宿場町で、古くから情報の要衝でした。一方、地域の産業は、諏訪を中心に養蚕、器械製糸、時計、電子機器産業と移り変わってきました。織機が手先の器用な人を育み、その手先の器用な人々が精密加工にも適応した。こうした歴史の積み重ねが1つの“強味”として今も人々のなかに生きているような気がします。
塩尻市にはセイコーエプソンをはじめ高度な技術を持つ企業があり、そこで働く方々など普通にパソコンを使う親のもとで育ったITリテラシーの高い子どもたちも多い。実際、地元小学校が全国規模のホームページコンテストで優秀な成績を収めるなどしています。これを伸ばさない手はないと思うのです。
――地域の創生には地元に根を持つ人材が必要になりますね。
金子:子どもたちには、東京に行っても塩尻に帰ってきてほしいし、できれば起業してもらいたいです。もし起業しなかったとしても、優秀な若者が多ければ企業誘致もできる。海外の仕事を地域で行うテレワークも珍しくなくなるでしょう。昔と違い、土地と水道だけあっても企業は来ないのです。地域で働ける優秀な人材が求められています。
地方創生の鍵は、自分たちの歩んできた道と“強み”を明確に共有することだと思います。もっと言えば、自分自身で困り抜き、何を捨てて何を残すのか、取捨選択ができていること。そうなれば強い。合理的かつ有利な“新しい道”は、よその成功体験などのなかにあるのではなく、自身を見つめ直すなかで浮かび上がってくると思います。
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プロフィール
金子 春雄(かねこ・はるお)
1961年塩尻市生まれ。塩尻高校卒業。1979年塩尻市役所入庁。1996年、日本初の公営インターネットプロバイダー・塩尻インターネットの開設を担当。1999年には市内光ファイバー網構築(130km)と拠点施設・塩尻情報プラザの建設に携わる。2009年に一般財団法人塩尻市振興公社の研究開発部門に出向、2011年より現職。総務省の地域情報化アドバイザーなども務め、国内はもとより海外でも数々の指導・技術協力の実績を持つ。
DATA
組織・団体名 塩尻市企画政策部情報政策課
住所 〒399-0786 長野県塩尻市大門七番町3番3号
設立 1985年
Webサイト http://www.city.shiojiri.lg.jp/
組織図