市民目線で推進するまちづくり
群馬県高崎市
NPOぐんま
理事 熊倉 浩靖 氏
「NPOぐんま」は市民活動の促進、まちづくりの推進、環境の保全などに関する事業を行い、市民と企業、行政の協働をコーディネートする、市民が設立したシンクタンクである。1999年に群馬県の認証を受け、まちづくりに関する事業の企画・立案・実施・アドバイス、調査・研究など、さまざまな分野で地域の専門家集団として問題解決にあたっている。
主な取り組み
◎自治体の政策や総合計画・総合戦略の策定の支援、社会調査・研究を通じたまちづくりの推進
◎環境保全活動、「エコアクション21」の地域事務局、市民環境大学、環境セミナーなどの実施
◎インターネットを通じた地域に役立つ情報の発信、情報システムの研究、サイトの作成・運営など、情報化の推進
◎群馬県立女子大学群馬学センターをはじめとする大学との連携、群馬県・長野県・新潟県の県境地帯の課題解決のための「上信越県境地域におけるワーク・ライフ・バランスの確立」研究会の開催
など
バブル崩壊を乗り越えた信頼と人脈
──熊倉さんがまちづくりを推進する活動に取り組まれたきっかけは、どのようなものでしょうか。
熊倉:大学を中退し、地元の高崎に戻ってから、この地域で最大の建設会社のオーナー社長に声をかけられました。この方は地域の社会・文化活動の中心も担っていた人で、私はその会社で社会活動の仕事に携わるようになり、やがてシンクタンク設立の話が持ち上がったわけです。時代はバブル景気の盛りで、他方では“ふるさと創生”という言葉も聞かれ始めていました。今は“地方創生”と言っていますが、課題はその頃からありました。
私がシンクタンクの立ち上げに参加したのは1986年でした。周囲の個別的な再開発事業にも関わりながら、他方ではもっと総合的なまちづくりを構想し提案するシンクタンクとの関わりも持ち始めました。
――当時は、そのようなシンクタンクが数多く設立されたようですね。
熊倉:当時、シンクタンクは雨後のタケノコのように設立されましたが、バブルが弾けると大半が消えました。我々の親会社の建設会社も解散したのですが、シンクタンクとして独立することで今につながることができました。それまでに関係した各自治体が評価してくださり、さまざまなノウハウや人脈も培ってきたのが良い方向につながったと思います。
青年会議所の友人たちの協力も得て、現在の「NPOぐんま」として再編したのが1999年です。いろいろなデコボコや、明日つぶれてもおかしくないような局面を何度も経験して、まもなく設立20年を迎えます。
自治体の支援や環境保全など、幅広い分野で活動


渋川市民環境大学の講演の様子(上)。後半に開かれた意見交換会では、代表理事の片亀さんがコーディネーターを務めた(下:手前が片亀さん)。
熊倉:ご承知のように、その都市のまちづくりの最上位計画が「総合計画」で、国が各自治体に2015年度中の策定を求めたものが「まち・ひと・しごと創生戦略」、すなわち「総合戦略」です。
私は富岡市の行政改革にも関わっていますが、富岡製糸場が世界遺産に登録されたことに依存しない将来像として「世界遺産にふさわしいまち」という提言を行いました。要するに、「世界遺産があるまち」ではなく、「このまちなら世界遺産があってもおかしくないね」と言われるまちづくりをしようと政策提言したのです。観光には浮き沈みがあり、財産になるか負担になるかは、時代の流れに左右されますから。
熊倉:渋川市では環境保全に対する市民の意識向上を図るため、その先導役を育成する取り組みとして、市民環境大学(http://www.city.shibukawa.lg.jp/kurashi/gomi/kankyougakusyu/p001371.html)とその修了者=エコ・リーダーを対象としたセミナーを開講しています。我々はそのセミナーの企画・運営を受託したわけです。
2015年度は、私が「基礎から学ぶ環境問題」をテーマに市民環境大学の講師を担当し、代表理事の片亀光がエコ・リーダーズセミナーを中心的に担いました。
そのほか、環境保全と環境経営に高い意識を持つ企業などを認証する「エコアクション21」(http://www.ea21.jp)の地域事務局として、2015年度は151社の認証と更新を行いました。
――非常に幅広い活動内容ですが、最近では地域的にも活動に広がりが出てきたと聞いています。
熊倉:「上信越県境地域におけるワーク・ライフ・バランスの確立」という長いネーミングの研究会のことですね。これは文部科学省が推奨し、群馬県が進めている地域と大学の連携事業の一環です。自治体、特に県の枠を越えて大学や研究者と地域が協力して、さまざまな課題を掘り起こし、解決策を抽出しようとするものです。私が研究代表者、「NPOぐんま」が共同研究者となりました。
――具体的にはどのような課題がありますか。
熊倉:上信越の県境地域には豊かな温泉地や高原リゾート地が存在し、観光による交流人口は増加しているものの、それが定住人口に結びつかない。むしろ人口減少・少子化に拍車がかかっています。観光による経済効果が地域外の資本に還流している現状もあり、それが若年層の定着に至らない原因にもなっています。
研究会はまだ始まったばかりですが、毎回、群馬県・長野県・新潟県の10以上の市町村から20名以上の担当者が集まり、空き家対策、公共施設の管理、ふるさと納税の問題、さまざまな地域資源の現状やその活用などについて意見交換をしています。
地方創生には総合プロデューサーが必要


2016年9月27日に開催された「上信越県境地域におけるワーク・ライフ・バランスの確立」の第1回研究会(上)。熊倉さんは研究代表者を務めている(下)。
熊倉:在京のコンサルタントとの違いは、泥臭くやることでしょうか。そして自治体の職員に対しても、一緒に苦労していただく、一緒に汗もかいていただく。お互いが苦労する姿や汗をかく姿を共有するので、本当に自分たちがつくり上げたのだと思えるようになる。
一般的にシンクタンクは、経済指標を優先して、地域づくりにあまり手を出したがりません。そして、大手のシンクタンクやコンサルタント会社は東京にありますから、関東地区では地域のシンクタンクは育ちにくい面があります。そんななかで我々はガラパゴス的に生き残っています。
――地方創生に向けて、どのような人材が必要とお考えですか。
熊倉:地元の地べたに張りついて、同じ地域感覚を持ちつつ、焦らず諦めず、多くの人々の意見をつなげられる人材だと思います。自治体の職員の多くは能力の高い方ですが、彼らには人事異動があったり、独特の職階性や位階制があったりしますから、そのような人材を育成するのは難しい面もあります。
むしろ必要なのは、役所の縦割り行政と住民や事業者とを、総合的にプロデュースできる能力を持ち、つなげられる人です。今後はこのような能力を持った人材の育成が必要になると思います。
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プロフィール
熊倉 浩靖(くまくら・ひろやす)
1953年群馬県高崎市生まれ。京都大学理学部中退後、地元の建設会社に勤務し、子会社のシンクタンクの立ち上げに参加。1999年、このシンクタンクが「NPOぐんま」に再編され、理事に就任。群馬県立女子大学教授も務めており、同大学「群馬学センター」副センター長、群馬県文化審議会委員、高崎市美術館協議会会長、富岡市行政改革検討委員会委員なども兼務。環境をテーマとして活動をしている「エコアクション21」の地域事務局群馬責任者でもある。著書に『上野三碑を読む』(雄山閣)など。
DATA
組織・団体名 特定非営利活動法人NPOぐんま
住所 〒370-0849 群馬県高崎市八島町70-51
認証 1999年6月
Webサイト http://www.npogunma.or.jp
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