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ユニークなアイデアと強靭な実行力で“厄介もの”を観光資源に

角田周氏

青森県五所川原市金木町
津軽地吹雪会
代表 角田 周 氏

青森県五所川原市金木町(かなぎまち)周辺では、毎年1~2月、猛烈な地吹雪に襲われる日がある。津軽地吹雪会は1988年以来、観光客向けに「地吹雪体験ツアー」を開催し、地元住民にとって“厄介もの”にすぎなかった地吹雪を観光資源に変えてしまった。今では、津軽地方の冬を代表する観光企画となっており、海外からツアーに駆けつける人も多い。

主な取り組み(角田氏個人の活動も含む)

◎モンペ、角巻(かくまき)、カンジキのいでたちで地吹雪のなかを徒歩や馬ソリで進む「地吹雪体験ツアー」を、毎年1~2月に実施
◎津軽鉄道の冬の名物「ストーブ列車」で、モンペ姿のおばちゃんがスルメ焼きと燗の地酒を振る舞うツアーを実施(現在は津軽鉄道が単独で運営)
◎真っ赤に塗られた列車のなかでサンタクロースが子どもたちにお菓子を配る「サンタ列車」を、津軽鉄道と協力して12月の毎週日曜日に運営
◎毎年12月に子ども向けのイベント「かなぎサンタフェスティバル」を開催
◎地元の伝統芸能が堪能できる「金木夏まつり」を実施
◎青森県の自治体、観光事業者と連携し、広域観光ネットワークづくりを推進
 など

誰にも頼らず立ち上がった“七人の侍”

──角田さんは1988年に「地吹雪体験ツアー」を始められて以来、さまざまな企画を実行して、地域を盛り上げてきました。まず、地域おこしを始めようと思われたきっかけについてお話しください。

角田:僕はいわゆるUターン組です。東京で音楽事務所を経営していましたが、親が病気をしたのでやむをえず地元に戻り、東京での経験を生かしてピアノ教室を始めました。すると、朝早く家を出て夜中に帰る、東京での不健康な生活から、急に健康的な生活に変わり、体を持て余すようになってしまった。
 ちょうどその頃、大分県の一村一品運動など、地域活性化運動が全国の至るところで始まっていたので、僕もそれに感化されて、「地域おこしで何か企画したい。自分がこれまで培ってきたものを地域に還元したい」と考えるようになったわけです。

──「地吹雪体験ツアー」はボランティア集団・ラブリー金木で企画されたそうですが、イベントをビジネスとして行う方向性はなかったのでしょうか。

角田:当時の青森県では難しかったですね。例えば、県庁に出向いた時、「これからはソフトの時代です」と話したら、「それはどこのソフトクリームですか?」と真顔で聞かれたことがあって……。“ソフト”という言葉が通じない。笑うに笑えない話が本当にありました。
 ラブリー金木は、役場の職員、地元の酒屋の奥さん、バス会社の運転手さん、そして僕を含めた計7人で立ち上げました。映画『七人の侍』ではありませんが、僕が1年かけて、一癖も二癖もあるメンバーを探し出した。何を言われても動じない、打たれ強い人間ばかりです。そんなメンバーが手隙の時に集まって、文字どおりの手弁当で進める手づくりプロジェクトとして「地吹雪体験ツアー」が企画されたのです。お金が絡まないボランティアだったからできたと思っています。

1%に望みを託して

地吹雪体験1 地吹雪体験2

モンペ、角巻、カンジキの3点セットが津軽の冬の“正装”で、地吹雪体験はこのいでたちで臨む。

──ツアーを最初に企画された時、周囲の反応はいかがでしたか。


角田:「何をやってくれるんだ」と総スカン状態です。地吹雪は地元住民にとって“厄介もの”にすぎなかったので、地元住民からは「金木の評判を落とすことはやるな」と非難されましたし、県庁からも「企業誘致に支障をきたすから」と反対されました。旅行代理店からは、地吹雪を血吹雪と間違えられる有様で……。僕たちにはきちんとした肩書きがないから相手にされなかったという側面もあったでしょう。


──そんな状態でよく実現できましたね。


角田:地元住民は総反対してもいいから、よその地域、南に住む人たちの関心を呼び起こして味方につけようと思ったのです。99%が反対するなか、残り1%に望みをかけた。だからプロモーション活動は、沖縄県の新聞社・放送局にダイレクトメールを送るところから始めて、徐々に北上させていきました。そうすると、地域ごとの反応の良し悪しがだんだん見えてきて、「この企画だったらいける」と確信が得られました。

 テレビの人気情報番組でツアーを取り上げてもらうために、東京に馬ソリを持っていくイベントを仕掛けたこともあります。この時は、東京駅や上野駅に人だかりができて、パトカーが出動するほどの大騒ぎになってしまって……。警察にはあらかじめ電話で連絡しておいたんですが、警察では「張りぼての馬だ」と勘違いしていたようで、あとで警察には始末書を提出しました。こんな感じで、安全性を確保しつつも最大限のインパクトを与えるギリギリのラインでイベントを仕掛ける。かなり無茶なことをやっていたと思います。

津軽三味線会館 斜陽館

金木町は津軽三味線発祥の地で、太宰治、吉幾三の出身地としても知られている。上は津軽三味線会館、下は太宰治記念館「斜陽館」。

──その甲斐もあって、「地吹雪体験ツアー」は30年近く続く人気ツアーになりました。


角田:国内外の累計参加者数は1万3000人弱です。国内メディアはもちろん、海外メディアでも紹介されていますので、海外からの参加者も増えていて、前回は外国人観光客が8割近くを占めました。海外では、台湾、ハワイ、タイなど、暑い国・地域からの参加者がほとんどですね。


──地元住民の見方も変わってきましたか。


角田:一番大きな変化は、子どもたちが、太宰治、吉幾三と並んで、「地吹雪体験ツアー」を金木名物の1つに数えてくれるようになったことです。僕は、これが嬉しいし、ありがたいと思っています。

地域の独自性を生かすシステムが必要

──現在、「地吹雪体験ツアー」はどのような体制で運営されていますか。

角田:旅行会社等の窓口として、地吹雪カンパニーという会社をつくっていますが、実動部隊は津軽地吹雪会というボランティア組織です。総勢15名ほどの組織で、レギュラーメンバーは4~5人、残りがそのサポート要員です。遠隔地から毎年ツアーに参加する人もいて、最初は参加者だったのに、いつの間にかスタッフとして動いている人もいます。

──ボランティア組織だと、メンバーを束ねていくのにもさまざまな問題に突き当たると思いますが。

角田:僕の考え方だと、たとえボランティア組織でも、プロジェクトを運営するシステムづくりが必要だと思っています。具体的に言えば、ドラマ製作と同様に、プロデューサー、ディレクター、役者という役割分担を徹底させるということです。なかでも特に重要なのはプロデューサーで、メンバーの個々の特性を理解し、それを生かせる人でなければなりませんし、プロデューサーに絶対的な権力を与えることも必要。その意味では、やはりリーダーを育てるのがとても大事だと思います。
 では、地域でそういう人材を育てられるかというと、難しい問題もあります。地域ではどんどん高齢化が進み、活性化を担う人材がいなくなっています。一方で、例えば仕事先などの保証がないのに、Uターンだ、Iターンだと言って若者を呼び込むことにも疑問を感じます。
 当面は、地域に魅力を感じて、別の場所から通ってくれる人を増やしたほうが、その人にとっても地域にとっても共倒れにならないと思う。そのためには、地域の独自性を生かすシステムをつくっていく必要があるのではないでしょうか。その独自性に魅力を感じる人が参加したり働いたりして、その人の個性や能力がいっそう高まっていくようにしたいですね。


■ ■ ■


プロフィール

角田周氏
角田 周(かくた・しゅう)

1953年青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)生まれ。日本大学芸術学部音楽学科卒業。都内で音楽事務所を経営していたが、生家の金物店を継ぐためにUターン。のちに金物店は廃業し、ピアノ教室を開設した。1987年、ボランティアの企画集団・ラブリー金木を立ち上げ、1988年から毎年「地吹雪体験ツアー」を開催。以来次々と、ユニークな地域活性化企画を実現し、ヒットさせている。2003年国土交通省の観光カリスマに選定される。

DATA

組織・団体名  津軽地吹雪会
住所      〒037-0202 青森県五所川原市金木町朝日山272-5
設立      1987年(企画集団・ラブリー金木発足)
Webサイト   http://www.asoview.com/base/136527/

組織の沿革と他組織との連携図

津軽地吹雪会

地吹雪体験.gif

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