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三陸の豊かな資源をマーケットにつなぎ直したい

八木健一郎氏

岩手県大船渡市
有限会社三陸とれたて市場
代表取締役 八木 健一郎 氏

八木健一郎さんは、北里大学の学生として三陸町(現・大船渡市)にやってきた。そこで四季折々に水揚げされる魚介の豊かさを目の当たりにし、卒業後、のちに「三陸とれたて市場」となる鮮魚のネット販売を始めた。ICTを活用して漁業の現場と消費者をつなぐ事業で注目されたが、東日本大震災で被災。震災後も大船渡市にとどまり、三陸の漁業を復興させるための活動を続けている。

主な取り組み

◎三陸の魚介類をインターネットで販売
◎漁の現場や魚の捌き方を動画で紹介、当日限定品のタイムセール
◎小規模漁業者とともに新たに「三陸漁業生産組合」を組織
◎「漁師のおつまみ研究所」を立ち上げ、漁師料理の商品開発
◎HACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)準拠の魚の加工プラントをつくり、CAS(Cells Alive System)を導入
◎「懐かしき昭和の漁村再生プロジェクト」を推進
 など

三陸には水産資源があふれている

――八木さんは大学卒業後も大船渡に残って、鮮魚をネットで販売する「三陸とれたて市場」を立ち上げました。この事業を始めたきっかけをお話しください。

八木:僕自身、最初はこういう仕事をやるつもりはまったくありませんでした。大学卒業後に、たまたま魚を扱う商店のホームページをつくるアルバイトを引き受けたことがきっかけです。三陸には水産物という資源があふれています。これをマーケットにつなぎ直したいと、純粋に思いました。
 三陸は魚の品質がすごくいいし、海はロマンの塊です。こんなにロマンのある食材なのに、それが消費者に伝わらずに、物だけが動いている。僕が現場に入って感動したことを、単純にお客さんと共有したい、僕が見た景色をお客さんにも見せてあげたいと思いました。

――漁船にライブカメラを取り付けて漁の様子を中継したり、そこで獲れたものを視聴者に競り売りしたりと、当時としてはとても先進的なことをされていました。

八木:浜を歩きながら取材して記事をつくっている時に、これをストリーミング中継したら面白い、と思いつきました。それには資金が必要なので、内閣府の「地方の元気再生事業」に応募したら選定されました。2年間、事業費をいただいて、総務省と一緒にやったことが今の仕事の原点です。

――そういう新しいやり方は、地元にスムーズに受け入れられましたか。

八木:軋轢はすごくありました。例えば、ライブカメラを1つ設置するにしても、「俺に挨拶もなしに何をやっているんだ」と、快く思わない方もいます。サケの遡上をライブ中継するために川にカメラを入れようとした時は、河川の占用許可を取るとともに、サケの遡上に影響がないことを地元の漁協に判断してもらうこと、という条件が付きました。魚市場は、ルールというより商習慣で動いているところがあるので、それを乱されることを非常に嫌います。いろいろなしがらみがあるので、個人や一企業で対峙していくのはとても無理です。

――そのような困難を、どのようにしてクリアしたのですか。

八木:事業費を付けたからと、内閣府の担当者が説明に来てくれました。県庁や関係機関を回って話をしてくれたので、動きやすくなったところがあります。
 この事業をやってみてわかったのですが、物が売れないのは、消費者を買いたい気持ちにさせるような雰囲気をつくることが、産地にできていないからです。産地はひたすら物をつくって、送りつけているだけでした。産地と消費地とがつながっていないのです。
 この事業に取り組んだ成果の1つがカキです。魚市場でよく使われている青いプラスチックの篭を万丈篭というのですが、僕たちがここに入った当初、カキは万丈篭1杯分が3000円で他の漁業者に転売されていました。

――万丈篭1杯分が3000円というと、カキ1粒がいくらになりますか。

八木:1粒に直すと20円以下です。それを、数は半分になってもいいから、単価を倍以上にしましょうと働きかけました。生産者は手塩にかけてカキを育て、僕たちはこの事業費を使い、生産者がどういう思いでカキを育てているのか、販促映像をつくって消費者に訴えていきました。その結果、粒が大きくて良いものだと、僕たちの買取価格が1粒500円、小売値は1000円にもなりました。生産者と一緒にそういう経験を積んでいって、これだったらいけるという確信が得られたところで、あの大震災が起きました。

自社だけが再建しても、漁業者の再生がないと意味がない

――「三陸とれたて市場」の社屋も津波で流されたそうですが、1カ月後の4月11日には早くも漁と出荷を再開しました。

八木:あの時、僕たちが一番恐れたのは、漁業者が海を放棄することです。避難所でも「船もない、家もない、道具もない、何もかもなくなった」という暗い話ばかりで、この土地だけでなく、被災した広域にわたって、みんな海を諦めていました。
 どうすれば、未来があると希望を持ってもらえるのか。そういうなかで、4月11日に岩手県が復興宣言をするという情報が入ってきて、じゃあ、僕たちもやるかと。氷も発泡スチロールも、鉛筆さえない状態でしたが、とりあえず船と網を集めて、どうなっているかわからない沖に出ました。

――海はどうなっていましたか。

八木:魚種が増えていたし、魚が動いているという実感がありました。震災前は、湾内で50年以上養殖をやってきていて、ヘドロが溜まって水が痩せていました。それを津波が混ぜ返して、湾が生き返っていました。実際、4月11日以降、岸壁から魚が入れ食い状態で釣れましたし、後日、東大の研究者に湾内にカメラを入れて調べてもらったら、ヘドロが砂地に変わっていました。それを漁業者に見せて、「これから青天井で漁が伸びていく。陸で落ち込んでいる場合ではない。早く船を出そう」と話をしました。とにかく漁業者が再生しないと、僕たちだけが再建しても意味がありません。

伴走しながら構造をつくり替えていく人材が必要

浜の台所CASセンター

HACCP準拠の「浜の台所CASセンター」


CAS冷凍設備

細胞を壊さずに凍結して鮮度を維持するCAS冷凍設備

――震災後、八木さんは漁業者とともに「懐かしき昭和の漁村再生プロジェクト」を立ち上げて、漁業の復興に取り組んでいます。具体的にどういう活動をされていますか。


八木:震災後の5年間、実際にやってきたのはインフラの再整備です。漁業の現場にどういう構造物をつくり、どういう設備を入れるのか。船や漁具はどうするのか。その資金をどこから調達してどう運用するのか。どういうチームを組んでどう動けば、新しい価値を生み出せるのか。今、それらの活動が一段落したところです。

 また、民間ファンドから資金を調達してHACCP(食品の製造工程に潜む危害をあらかじめ分析し、それを安全なレベルにまで管理できる重要管理点を工程上に定め、それを常時監視する食品の衛生管理手法)準拠の魚の加工プラントを新設し、CASを導入しました。ただ、市場から買ってきた材料を使ってCASで鮮度の低下を止めても、市場の鮮度を維持できるだけです。それでは築地に勝てないので、原材料の鮮度を上げる技術開発をしています。例えば、脱血、神経〆をした魚のCAS凍結ですが、これは漁業者の協力がないとできません。漁業者との連携技で、新しいマーケットを生み出そうとしています。


――今後、地域再生を進めていく上で、どのような知識や能力を持った人材が必要だと思われますか。


八木:農業でも漁業でも、地方には豊富な資源がありますが、そのほとんどが利用されずに捨てられています。まず、日本の1次産業のポテンシャルを、点ではなく面で考えて、有効利用のグランドデザインを大局的に描ける能力を持った人材が必要です。また、そこで描いた青写真を地域に落とし込んでいくためには、これまでの産業構造を再点検して、定義し直していく必要があります。組織に伴走しながら、そこを一緒に乗り越えていく手助けができるファシリテーターのような人材が求められていると思います。


■ ■ ■


プロフィール

八木健一郎氏
八木 健一郎(やぎ・けんいちろう)

1977年静岡県生まれ。北里大学水産学部(現・海洋生命科学部)卒業。2001年に地元の商店と協働して鮮魚のネット販売を始め、2004年有限会社三陸とれたて市場を設立。船に設置したネットカメラで漁を中継するなど、ICTを活用した販促を行う。東日本大震災後は、地元の漁業者とともに漁業復興に取り組み、魚の加工プラントを新設。地域の雇用創出に貢献するとともに、競争力のある商品開発を行う。

DATA

組織・団体名  有限会社三陸とれたて市場
住所      〒022-0101 岩手県大船渡市三陸町越喜来字杉下75-8
設立      2004年
Webサイト   https://www.sanrikutoretate.com/

連携図

三陸とれたて市場連携図

浜の台所CASセンター.gif

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